SOLAHANPUの始まり(Designer's story)
私は幼少期より物の構造を調べたり、立体工作をしたり、絵を描いたりする事がとても好きで何かを「創造」する事に関して強い好奇心を持っていました。同時に思い立ったらすぐに行動に移す性格で10代半ばより日本以外の海外を見て見識を広げたいという強い思いも持っていました。
19歳の時、偶然フランスで生活できるかもしれない機会があり、外国語は出来なくても海外を知って視野を広げ多くの冒険、経験をしたい、自分を鍛えたい等の気持ちが元々あった私は当時まだ海外経験はありませんでしたが、これを機会に海外に出てみようと決心しました。それから渡航の為に集中して4か月ほどお金を貯めついにフランスへ飛びました。結局その機会は逃してしまったのですが今後も海外を見て回りたいという気持ちが冷めずその後もヨーロッパ各国、アメリカ、アジア各国と身一つで各国を巡る旅を始めました。
最初の頃は短期間で1回日本に戻り一定期間働いてお金を貯めまた海外に出る流れでしたがそのうち他国でも仕事が見つける事が出来、仕事と旅行を交互にくりかえす流れが出来上がっていきました。アラスカの大自然での漁業やキャンプしながらの生活、ドイツで節約のため安いパンだけを食べて過ごした日々、香港での日本語を教えながらの生活、イタリア、アメリカで強盗に逢いそうになった事等、、、色々な経験が増えていきました。英語、中国語や多少のその他言語もこういった流れの中行く先々で現地の人と交流しながらまさに実践方式で覚えていきました。
旅行中の数年は最低限の経済水準だったので余裕のある時でもユースホステル(当時は欧米各国で多人数部屋1泊15-25米ドルくらい)、余裕が無い時は野宿するしかない状況も少なくありませんでした。こんな各国をめぐるサバイバル的な状況の中でたった20歳になったばかりの私は徐々に荷物を最小限にする意識と技術が身につき小さいアタックザックと財布だけで行動するようになっていきました。
なぜこんな少ない荷物にする必要があったかというと、当時経済的余裕が無くいつどこで寝れるか分からない状況下で荷物が多いと動きづらい、荷物を無くさないように管理するのが困難になる等の理由があったので自然とこのようになっていきました。財布に関して海外旅行時は貴重品関連は分散して持ち歩いた方がいいという意見もありますが、私の場合は一括管理で財布にパスポートも全て入れてウォレットチェーンで固定する方式を選びました。安全が確保できない場所では財布をポケットに入れたまま、もしくはズボンの中にしまって寝る事さえありました。- 荷物は少ないほど動きやすい、管理しやすい - これは断捨離という概念にも一致するかと思います。ただ荷物が極端に少ない(ミニマルすぎ)ので入国管理局で怪しまれ「お前はスパイか?」と取り調べを受け何も問題無い事を確認した後ようやく釈放されたことさえ何度かありました。泊まるところに関しては各国で仕事や住居が確保できない人の為の政府や各種団体が運営する施設(アメリカではシェルターの呼称)にもお世話になった事があります。今となっては泣き笑いできそうな思い出です。
それから約10年が過ぎその時も海外で日々を過ごしていました。そんなある日、突然、ある知り合いの方が亡くなるかもしれないとの連絡を受けました。すぐ日本に戻り最後の数日を看取ったのですが悲しみと同時に限られた人生の中で人が生きる意義とは何かを考えた時、自分自身が好きな事、達成したい事等に積極的に挑戦していくべきではないかという思いが強くなりました。その時自分用に満足いく財布が見つからない状況、以前より思い描いていた財布やかばんなどの設計案を合わせて自分で設計した製品を売るブランドを作ろうと思ったのがSOLAHANPUの雛型となりました。
しかし実際の生産となると思っていたよりも簡単でない事が分かってきました。最初は製品のスケッチと寸法図面等を作成、使用素材や部品等も選定、インターネットやツテで工場を探し持ち込んで制作を依頼するも何千個というロット要求があったり、そもそも売れそうにもないから依頼は受けない等難かしい情況でした。かろうじて引き受けてくれた工場でも指定の寸法や形状と全く違ったり、指定素材や部品を勝手に変えられたり、納期も伸ばし放題、何とか出来上がった試作を見てもこちらのイメージと全く違ったり、あらゆる問題に直面しました。そうやって何度も繰り返すが結局時間だけどんどん過ぎていきお客様に売れる品質の製品が初めて出来たのは開始から約二年後の事でした。しかしその後も色々と生産の問題が解決せず徐々に自分で作る方向にシフトしていきました。
私は専門的に設計分野を勉強したことはありませんでしたが元々好きだった立体工作や絵を描く事が役に立ち、合わせてAUTOCADやその他デザイン系ソフト、クラフト縫製や型紙制作も工場で見たものを参考にしたり独学で覚えていき試作や少量の生産が出来る技術を身につけていきました。
2016年、日本では初の製品となる薄い財布「Tenuis」が著名メディアであるライフハッカー様、ギズモード様やその他メディア様に紹介され一気に知れ渡りました。同年後半には初のインターネットキャンペーン参加で後継版の「Tenuis2」を公開、300名を超える方々からご支持を頂き日本での活動が増えてゆく足がかりとなりました。
この頃はまだ私と少数の職人のみでの制作でしたがその後数年に渡り生産数が増え続けたので協力工場を探すも日本で制作可能なところが見つからず再度海外の工場に移した時期もありました。しかしそれらの海外工場では試作時は態度が良く丁寧に作れたとしても、いざ本生産が始まるとこちらの要求を無視して雑な制作をしたり、指定以外の材料を使ったり、いくら聞いても途中経過が全く分からない状況が続いたり、契約した納期が完全に過ぎているのにそれに対する対応が全くない等、いくら試行錯誤しようと品質面、納期面等で我々も限界を感じ疲弊しきった挙句やはり我々の求める品質、物作り体制は日本じゃないとだめという事を再度強く認識するに至りました。実は2010年頃からも日本の制作工場を探していましたがSOLAHANPU製品の制作工程が複雑な事から長期にわたり技術的、条件的に合うところがみつかりませんでした。その点は日本、海外に関わらず出来るとこ、出来ないところの差はあるかと思います。しかし紆余曲折を経て2023年度からようやく満足のいく日本国内工場を見つけ日本生産を再度確立しました。
この場を借りて過去数年間SOLAHANPUをご支持頂いている皆様に厚くお礼を申し上げます。私自信も継続して機能と美観を兼ね備えた製品のデザイン及び創作活動全般を続けていきたいと思っております。お客様よりご意見があった際も謙虚な心で受け入れ、自己反省を行いSOLAHANPUがもっと成長し、より多くの方に受け入れて頂けるように精進する所存です。